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消えた文学部本館を探せ

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私が最初に京都大学を訪れたのは2年前の夏。高校2年でオープン・キャンパスに参加しました。其の時に訪れたのは総合人間学部のガイダンスが行われた吉田南4号館と文学部のガイダンスがあった文学部本館・新館。新館といっても2階建てで幾つか講義室があるだけでもちろんメインは本館なのですが……

本館と言われて、私はちょっと期待をしてしまいました。というのも文学部の手前にある法経済学部本館は由緒ある名建築です。私はてっきり文学部もこんな感じの荘厳な佇まいなんだろうなぁ、と勝手に期待してしまったのです。
法経済学部から少し歩くと右手に似たような、レトロの香り漂うなんとも言えない雰囲気の建物がありました。私は「あっ、これが文学部かあ」と納得。法経済学部にはやや劣るものの、そのやや雑多な感じもまさに京大、という感じで素敵な建物です。一方で左手には入居者の少なそうなバブル期の集合住宅みたいな8階建てのビルが2棟。手前のビルには「法経済学部北館」とあったので、まあここは所詮増築だな、と思っておりました。
ところが本館(だと思ってる建物)の表を覗くと「文学部東館」という不思議な文字列。「えっ、ここって東館なの? じゃあ本館ってどこ?」私は不思議に思います。というか嫌な予感がしました。北に向かって歩いている私にとって、右手が東。ということは本館は西、つまり左手にあってしかるべきです。左手には例の寂れた集合住宅。そして手前のビルには「法経済学部北館」。
疑いを隠せないまま2棟のビルのうち北側の玄関を覗きました。案の定、「文学部校舎」の文字が……。「嗚呼、なんてことだ」と思わず口を開きます。そこには私の求めていた文学部本館はありません。もはやこっちが「文学部西館」といっても差し支えないほどのバブル(に見える)建築がそびえ立っていたのです……

 

 京大に入学したとはいえ、このままこのもどかしさを解かずに4年を過ごすわけには行きません。というわけで早速京都大学公式サイト(http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/)から「詳細年表」の頁(http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/history/history2/nenpyo.html)を覗きました。
 「文学部」というワードで1981~1999年の詳細年表に検索をかけると、「1996年3月21日に文学部校舎第2期竣工」という文字が。文学部の建物自体はこの辺りで変わったので(東館は60年代の増築以降そのまま)本館のことを指していると思われます。2期ということは1期も存在するはずです。
 しかし1981~1999年年表で「文学部」を検索するとほかはそれらしいヒットなし。1961~1980年年表だとヒットこそ多かったものの学生運動ネタが多くて校舎についての言及はなし。
 大学サイトに上がっている詳細年表は書籍化された「京都大学百年史」の抜粋なのでしょうがないといえばしょうがないのですが、じゃあなんでむしろ2期竣工だけ抜粋したんだよという感じです。
 気落ちしながら京大サイトを回ってたら灯台下暗しとはまさにこの事。文学部のHPに百年史があるではないですかーやだー!!( http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/about/history/centenary_history/)そんなわけで以下、ところどころ抜粋しながらお送りします。

 

1993(平成5)年3月、京都大学の中核的施設が集まり高密度が主な原因となって引き起こされている学園環境の劣化を解消するために、全学において吉田キャンパス施設長期計画が策定された。そこでは吉田キャンパスを西南から東北へと「幹線緑道」の設置が構想され、その結果、その線上に位置する文学部東館の取り壊しとその跡地の緑地化が計画された。それと同時に、整備計画が策定された。
[京都大学文学部百年史]

 

今から考えると信じられないことですね。まず今のキャンパスで南西から北東へ歩こうとするとかなり曲がらなければなりません。というか建物が多いです。そんなところに道路を通すと言ってるのですから、まあ中々に過激な企画ですよね。っていうか文学部東館取り壊すつもりだったのかよ……

 

それによると時計台は残し、その北にほぼ対象形に片側4棟、計8棟の建物が建てられることになっていた。1993年度、最初に着手されたのが文系四学部共同棟であり、1994年度に文学部講義棟が、1995、1996年度をかけて文学部新館が建てられる計画であった。以降法経東北館、法経東南館、法経西南棟、法経西北棟、教育学部新棟と建設されることになっていたが、既存建物の使用期限延長を骨子とするいわゆる「有馬レポート」が出されたのを受けて、1997年6月の全学の建築委員会において計画が変更され、法学部本館は耐震工事を施したうえで利用することとなり、当初の計画は大きく変更された。
[京都大学文学部百年史]

 

 という訳で即おじゃん。しかし保存が決まったのは法経済学部だけで文学部は見事建て替えの煽りを受けたわけです。合掌。

 

文系四学部共同棟は、実際には1993年12月に着工し、竣工したのは1994年12月である。この共同棟には、文学部新棟建築のために文学部旧本館西側が取り壊されたために、主として取り壊された研究室と文学科閲覧室が入った。またこのとき哲学科閲覧室が美学美術史の研究室へ一時移転した。
[京都大学文学部百年史]

 

 という訳で文学部本館取り壊しです。まず最初に建ったのは文系四学部共同棟。今で言う「文系学部校舎」です。と言っても見た目も文学部だし入ってるのも殆ど文学部。もう文学部の延長と言っても差し支えありません。

 

文学部新館第一期工事(講義棟)は、1995年7月にはじまり翌1996年3月に竣工した。この建物は主として講義棟であるが、地下には閲覧室および書庫が設けられ、同年8月、哲学科閲覧室が移るとともに、文学科閲覧室と統合した。文学部新館第二期は、1997年3月から工事が始まり、8月に完成、その直後、東館にあった史学科閲覧室が完成した新館に移り、従来3閲覧室であったものが1閲覧室に統合された。
[京都大学文学部百年史]

 

そんなわけで文学部校舎、見事に全部建て替わりました……。ちなみに「京都大学百年史」に掲載されている1997年の時のキャンパスの写真(参考)を見ると今の文学部本館西側と共同棟、東側は建設中。つまり第1期工事は本館のうち外壁が薄い部分、第2期が濃い部分だったんですね。これで積年の謎が解けました。しかしなんで第2期にいきなり外壁を変えちゃったんでしょうか?よく見ると濃いタイルの外壁はどことなく法経済学部本館や文学部東館みたいな色してるし、あと下層部が色みを抑えた灰色、中層部がレンガ的茶系、トップは白くまとめるゴシック建築おなじみの3層ファザードで嘗ての面影をそのままに…ってそんな簡単にことが運ぶわけねえだろ!誰だこの建物デザインした奴!