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汝我を偽りて朋友を作る事毋…学生生活のすゝめ

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≪注意≫
この記事をまじめに読んだら負けです。

はじめに…助けてくれ、僕は民間人だ

つい昨日までまさに春爛漫、鴨川も冷泉通も桜が見事に咲き誇っていたというのに、何たる雨だろうか。世の人はこれを春雨と云う。一体何を思ってあの料理を春雨と名付けたのだろう。よくよく比べるとどこも似通った箇所がない。碓氷なら五月雨と名付ける。いずれにせよこの雨で桜は散ってしまった。

日本の最高学府はかのビートルズが唯一の日本公演を行った伝説の金色の玉葱の下で入学を許されマスコミにチヤホヤされるのに、碓氷の大学は親が隔離されるほど狭い空間で式の時間より退場の時間がダブルスコアで勝るぐだぐだっぷりを披露してしまった。しかも待ち受けるのは秀才(碓氷は自分を勝手にそう思っている)を暖かく迎える報道各社ではなく営利目的しか伺えない体育会系サークルの方々である。彼らのおかげで動線が塞がれ退場の停滞が悪化したことは言うまでもない。さらに間の抜けた事に碓氷は乗るバスを間違えた。雨の中を一人で歩く姿は惨めとしか言えない。しかも歩行者が自分だけというのが涙を誘う。 

午後からガイダンスがあるとの事なので碓氷は雨で悲惨な事態になったスーツを脱ぎ、カジュアル(と言うか適当)な服に着替えて大学構内に向かって歩いた。当然雨の中を一人である。泣いてくれる人がいたら存分に泣いてほしい。 

ガイダンスは多少のアクシデント(留学体験記が絶望的につまらない、留年率が10%というそこそこな値なことを流された、普通に寝たetc.)は発生したものの碓氷は己のスキルを駆使して華麗に切り抜けた。今日はガイダンスだけだと聞いたし入学式で親も来たから別れを惜しんで美味しいものでも食べようとか明日から授業とか既にだるいとかいろいろと考えていた。いずれにせよこれら思考の全ては「とりあえず帰る」への推進力に収束していたのである。

司会の方がついに口を開いた!(待ち焦がれた結果体感時間が無限大に拡散している)
「えーそれでは」

そこで明らかに周波数の違う音が入ってきた。「すいませんちょっといいですか」

碓氷はこの時点で神に己が今までしてきた罪を懺悔した(法的な罪のことではない。警察に懺悔しなさい)。

「これ毎年恒例なんですけど、クラス別に別れて講義室に移ってもらって茶話会をします。毎年大体全員出席します

そもそも「全員が全員出るってわけでもないです」とか「出なくても大丈夫です」とかでも発言的には誤解も矛盾もなかっただろう。だってだいたい全員な時点で確実性は失われている。しかし「出席しない人はあんまりいない」という含みをもたせたこの台詞を聞くと人は忽ち言葉の真の意味を忘れて罪悪感を抱いてしまう。なんとせこい技なのだろう。

古くは中世、貴族階級しか入ることを許されなかった大学はそのリベラルアーツを支える柱として修辞学を重視していたという。その文化が東洋の果て(日出ずるのは世界の果てなのだから当たり前である)しかも数百年の時を超えてこの現代日本にも根付いている。この時空を超えた安いSFよりも臨場感のあるスーパーナチュラルに碓氷は感動すら覚える。 

断る時間も与えられずあれよあれよという間に連れ込まれたは講義室。ナントカ会の冗長で死ぬほどつまらない、いや死んだほうがマシレベルの講演を聞かされ大学組織でもないのにそれなりの金銭を強制徴収された。「ああそうか、こうして社会は作られるのだな」とはのちの碓氷の言である。

そんなわけでまるで高校時代に戻ったかのようなみんなで笑ってみんなで語らう不思議な会に迎合することのなかった碓氷はひっそりと講義室を抜け出し逃げるように家に帰った。飲み会を企画する委員とか決めてたらしいが、碓氷はだれか覚えていない。ていうか行かない。

1…彼等は僕と違う人間だ


ここまでの碓氷という哀れな学生の顛末をご覧になった方は彼をどう思うだろうか。「典型的非リア」「カルトの標的」「積極性が足りない」「自分が変わろうとしていない」…といった非常にネガティブな感情を抱くのではなかろうか。そう考えた貴方は非常に正しい。むしろ「かわいそう」「オタクに厳しい」「ウェイ氏ね」のような攻撃的な感情を持つ人々はそのコンプレックスの着ぐるみを脱ぎ捨て自分を変えて広い広い賑やかなウェイの世界に…ってちょっと待ってほしい。

自分を変えたくらいで
そんなうまくいくものなのか?

というかまず「自分を変える」という曖昧極まりないこの不思議なワードについて考えたい。まず程度はどのくらいであろう?ちょっと口調を変えた?その程度で寄ってくる人は審美眼がなさすぎると思う。では趣味を変える。共通点が少し増えた。こういう群れ方はよくある。そして話してみると思いのほか食い違って勝手に裏切られた気分になって勝手にがっかりしてしまうだろう。ということでルックス。顔はともかく体は絞れるだろう。ある程度痩せて髪形をワックスヒラヒラにしたら思いのほか男前になるかもしれない。でも同じ自分を避けていた人が寄ってくるので確実に無常を感じてすぐ頭を丸め出家してしまうだろう。寺はどこにでもある。そして忘れてはならないのはこれは「うまくいった場合」であり「ただのヒョロガリ」にしかならなかったときは現状何も変わらない。ウェイトが落ちたのだからマイナスだろう。あ、食費的にはプラスか?

というわけでもう変えるものは一つしかない。

性格である。 

口調を変え、趣味を変え、容姿を変えて最後に性格を変える。うまくいけば完全に自分が変わる。誰とでも気兼ねなく話せ、全体の流れに乗り、周りからは無事仲間認定される。かつて自分が属していたグループを見下す日も近い。恨みを買ったかつての仲間にだけは気を付けて。

と、ここまであたかも順風満帆かのように書いてきたけれど、やっぱりそんなにうまく行くか?

何より自分がどんなに変わろうが相手と同じになることなんてないわけで、もっと現実的に考えても「相手に近い何か」になれるかどうかも実のところ怪しいのではないか?

…と思うため、なんか友人を得る手段的にはリスキーな技だと思う。失敗した時の(金銭や時間の)ロスもそれは酷い。FXで有り金をすべて溶かしてしまうような感じである。

2…そんな人は僕じゃない


…昔、小学校の図書室で読んだ手塚治虫全集「鉄腕アトム」でうろ覚えだけどこんな話があった気がする。ある男がいて、病気とか延命とかで心臓をはじめとする臓器を機械化、手足は義足義手、ついに生身の部分は頭部だけ。愛する女性のロボットに「あと頭を取り換えるだけで僕は君と同じロボットになれる」と言う…。そういえば「999」にはもっと露骨に機械手術を全身に施した人間がじゃんじゃん出るし、「攻殻」なら義体に乗り換えて別人を装ったりしてる。

う~ん、似てる。「すべてを変えた自分は自分なのか」。哲学の話題みたいである。逆の話は有名なのだが。「沼男」とか。あと「卵か鶏か」というアレも連想する。

この現象をお得ととらえるか、非常にアレなことととらえるか。お得という人の気持ちもわかる。努力だけで別人になれるのなら安い。「人生リセットしよう」とか阿呆なことを考えなくていいですからね。

一方、こうも考えられる。「もはや自分を捨ててまで得た幸せなんて」 みたいな厭世観を引きずった人たちである。うーむ、非リアをこじらせた高2病って感じだ。でもこっちの方を支持したい。

いままで完全に忘れていたが、先述のように自分を変えることを巷ではどうも「大学デビュー」などと呼ぶらしいが、となると高校時代は下積みだったわけで、いかにも以前の状態を一人前として認めない選民的というか排斥的というかそんな言葉である。う~む、なんだか差別発言の言葉狩りみたいになってきたからここでやめておこう。

どんな人もそれ相応のコミュニティに所属していたのであり(稀に一匹狼だったりするが)自分の華麗なる転身のために過去と友を捨てるなど言語道断であろう。過去の自分は歴史に裏付けられた自分なのだから、華々しく「デビュー」してしまっては偽りである。ソロ活動時代のYUIとか清純派セクシー女優みたいな。



以上の2つをもって、わざわざ己を偽ってまで偽りの友人など作らなくていいと主張する(非常にカッコ悪い主張)。だいたい、ある程度の大学になればそういう雰囲気になじめない人って結構いるので(群れないだけ)是非探して友としてみるのはどうであろうか。

最後に力強い歴史的名言を拝借してこの論を締めくくりたい。

全国のナードよ、団結せよ!
―――『根暗党宣言』より